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過去と未来をつなぐ 歴史と自分をつなぐ

修学旅行では毎年ほぼ同じ場所を見学するのですが、いつも違う発見があります。

法隆寺中門公開

修復工事のため長く見ることができなかった中門が姿を見せました。両端には日本最古といわれる金剛力士像がありました。この像はまだ修復の最中で見学した時も作業をしていました。諸行無常。建物も彫刻も時とともに壊れていきます。修復してきたことで今も残り、未来に残っていくのです。今ある古いものには大切なものを未来に残そうとした過去の人々の思いがこめられています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

法隆寺五重塔北面塑像

四面にある塑像の中でも人気が高いのが北面の釈迦涅槃像です。お釈迦様が横たわり死のうとしている周りで弟子たちが嘆き悲しんでいる。その悲しみの表情が一人一人違うのです。弟子たちは悲しんで終わるではなく、その後、お釈迦様の教えを広め、伝えていきました。それは日本にも伝わり、仏教は日本の社会で重要な役割を果たし、今も広まっているのです。そう思うと、弟子たちの表情から悲しみだけでなく、お釈迦様の教えを忘れまい、人々に広めていこうという決意が伝わってきます。手塚治虫がお釈迦様の生涯を描いた漫画「ブッダ」の最期にお釈迦様が「わたしが去った後、わたしの一生かけて説いた話はどうなるのですか。百年たち千年たったあと、忘れられてしまうのですか。」とつぶやく場面があります。このせりふには手塚治虫自身の自分が一生かけて描いた漫画は忘れられてしまうのかという思いを感じるのですが、今も人々はお釈迦様も手塚治虫も忘れていません。

 

 

 

 

 

 

 

アルカイックスマイル

法隆寺ではたくさんの仏像を見ました。バスガイドさんからアルカイックスマイルのお話があったのですが、子どもたちは仏像の微笑みに何かを感じてくれたでしょうか。昔から人々は戦争や病気、人生のさまざまな苦しみに出会った時、難しい教えはわからなくても、仏像のやさしい微笑みを見るだけで安らぎを感じたことでしょう。仏像のやさしい微笑みを見ているうちに自分自身も微笑んでいたかもしれません。笑顔で安らぎを伝える。それも仏教の力だと思います。

 

 

 

 

 

 

東大寺大仏の中指

大仏は巨大な右手の手のひらを人々に向けています。よく見ると中指だけがお辞儀をするように少し前に倒されています。これは人々に「大丈夫ですよ。安心しなさい。」と語りかけているという意味があると聞いたことがあります。今も、手のひらを相手に向けるという動作は武器を持っていないこと相手に見せて安心させる意味があります。アルカイックスマイルもそうですが、仏像の姿に学ぶことは多いです。

 

 

 

 

 

平安時代の金管バンド

平等院鳳凰堂の壁面にはそれぞれ楽器を手にした五十二体の雲中供養菩薩像が飾られています。どんな音楽を奏でるのかを想像してみると楽しいです。「かぐや姫の物語」というアニメで、月からかぐや姫を迎えに来た天人たちがお祭りのような楽しい音楽を演奏していました。楽しい音楽だと極楽浄土に行けそうな気になるかもしれません。音楽には人の気持ちを明るくする力があります。運動会の金管バンドもそうでした。

 

 

 

 

 

 

 

餓鬼の話

止観体験の話は昨年と同じものでした。この1年すっかり忘れて実行できていない自分を反省しました。最後の餓鬼の話は時間の関係で少し省略されていました。欲望が満たされず苦しみ続ける餓鬼が見えないけれど実際に存在するという話ですが、その餓鬼が生きている私たちにも影響を与えているということです。これだけ豊かになって、戦争もなく衣食住にも困らない私たちなのに、あれも欲しい、これも欲しい、もっと欲しいという欲望に限りがありません。餓鬼と同じです。

吾唯足るを知る

龍安寺のつくばいに彫られた四文字は、満足することを知ることが心の安らぎにつながるという禅の教えを表しています。餓鬼の話とつながります。忘れないようにしたいです。

 

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