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今日は何の日

二宮金次郎(尊徳)の誕生日(1787年) 

 東栄小学校にもある銅像の二宮金次郎は、貧しい農家に生まれながらも学問に励み、出世して藩の財政を立て直したり、田畑の開墾を指導して、六百余りの村を復興させた人物です。
 これは、この二宮金次郎のお話しです。

 相模国(さがみのくに、今の神奈川県)に生まれた金次郎は、とても貧しい農家の長男でした。とても貧しかったので、その日に食べる物もありません。
 そこで仕方なく、末の弟を親戚の家に出す事になったのです。その夜、お母さんは息子の金次郎に泣きつきました。
「金次郎。わたしはやっぱり嫌だよ、あの子を親戚にやるなんて」
 それを聞いた金次郎は、お母さんに言いました。
「わかりました。明日からは、わたしが人の二倍働きます。だから弟は、すぐに帰してもらいましょう」
「ああ、金次郎。すまないねえ」 金次郎は弟が帰ってくると、前よりもっと働かなければなりませんでした。朝早くからたきぎを拾って町で売り、それが終わると夕方まで田畑をたがやして、そして夜は遅くまでわらじをつくりました。お母さんは体が弱くて、働けないので、十五才の金次郎が一人で家族をやしないました。それは大変な苦労でしたが、金次郎は文句ひとついいませんでした。それどころか、「移動する時間、何もしないのはもったいないな。時間は、上手につかわなければ」と、たきぎを町へ売りに行く時は、好きな本を読みながら歩いたのです。
 この当時、農家の人間が勉強するのは珍しい事でした。だから、この金次郎のおかしな行動は、すぐに村中に広まりました。
「あの子、勉強しながら歩いているよ」「ほんと、全く変わった子だね」。それを知った親戚のおじさんは、金次郎をひどくしかりつけました。「馬鹿者! 百姓に、学問などいらんのだ!本を買う金があったら、家族に食べ物でも買ってやれ!」
 しかし金次郎は、こっそり勉強を続けました。
 こうして勉強を続けた金次郎は、やがて出世をして、お母さん孝行をしました。